踊り子の魔女 第七十八話:眠れる鼓動、届かぬ祈り
――絶望は、鈍く、重く、私の身体を飲み込んだ。
けれど、その光が深淵に触れた瞬間。
起きたばかりだというのに、ルルが大きな声で起こしてくる。
トーカも私も、まだぼーっとしていたのに、この大声で一気に目が覚めた。
「あんた、なんなの!?なんでそんなに元気なわけ?」
トーカが半ギレでルルに言い返す。
「今日は決戦の日、これまでの集大成なんだよ!張り切らずにはいられないでしょ。」
「だからって、寝起きの私とマリーに大声でいきなり話しかけんなよ。」
「すっきり、パキッと目を覚ましてもらおうと思ったんだけどぉ。」
「パキッと目が覚める前に、心臓が飛び出るだろ!」
幸か不幸か、ルルの思惑通り目はしっかりと覚めたトーカ。
そしてルルとトーカの言い合いで、私もぼーっとしていられるはずもなく。しっかりと目が覚め二人の争いの行方を見守った。
「はぁ。朝から疲れた。最悪だ。」
「えートーカもう疲れたの?ダメじゃない。」
「こいつ。」
トーカがこぶしを握る。
すかさず、さらに私がそのこぶしを握る。
「まあまあ。ね、トーカこれ以上やってもさらに疲れるだけだから。」
「ふー。」
こぶしを解き、矛を収めたトーカにお礼を言いながら、三人で着替え食堂へ向かった。
***
「久しぶりだね。」
「そうだね。」
「相変わらず、生命力があまり感じられないね。」
「寂しい場所だなー。」
皆、それぞれ思い思いにつぶやく。
少しの静寂が流れる。
「よし。じゃあ始めるか!」
どんな時でも変わらずあっけらかんとしているラキアは、こういうときもペースを崩さず先陣を切ってくれてとても頼もしい。
「頑張ってねマリー。」
セドルも優しく励ましてくれる。
「それじゃあ。始めます!」
目を閉じる。大きく息を吸って流れる風を感じ、暗闇の中に光る緑色の線を描く。
感じる周りの魔力の地図を広げていく。
手を差し伸べ、ステップを踏み始める。
今の私の踊りは、きっと祈りに近い。精霊師はそれぞれの方法で、己のなしたい魔法の形を祈る。
大きな力を。
この大きな湖を覆えるだけの大きな魔法陣を作る。ただそれだけに集中する。
シェシェを感じて、風を感じて、そして力と自分を一緒にしていく。
『大丈夫。』
シェシェの声が聞こえた。本当に話しかけてきたわけじゃない、シェシェの私を思ってくれている思いが伝わってきたのだ。
練習の時にはなかった、お互いの感覚が流れ込んで、染みわたっていくような感覚。成功できる気がした。
いける!
大きく手を広げ、湖の上に魔法陣を描く。中心から外側に向かって円形のきれいな幾何学模様が構築されていく。目に見えるほどの大量の魔力が、緑色の光る粒となりながら魔法陣に吸収されるように集まってくる。
「綺麗。」
隣にいるルルが小さな声でそうつぶやいた。
「ルル、集中するんだ。僕たちの役目はここからが本番だよ。」
「う、うん!」
魔法陣の完成が迫る。
とても巨大な魔法陣が湖の上いっぱいに広がり、美しく輝いている。
陣は湖一帯を包み込むように、ドームの形へと変形する。
すべてを包み、光の粒が降り注ぐ。湖の底からは唸るような、奇声のような何とも言えない声とも取れないような音がする。
だが、その瞬間、私は言いようのない不安と、ずれを感じた。そして、瞬く間に魔法陣は輝きを失い、形を崩し始める。全身の力が抜けると同時に、滝が流れるように一気に魔力が残ることなく抜け出ていった。
「行かないで!!お願い!!」
私には、まだ資格がない。そう言われているようだった。
悟る。己の力を過信したのだこれは失敗した、いやそもそも最初から成功などするはずなかった。
声しか出ない。叫んだ時には遅く、魔法陣は完全に砕け落ちると、まるで待ち構えていたかのように湖の底から黒い何かが飛び出し私に向かってくる。
「マリーよけて!!」
「だめ。」
血相を変えたセドルが私の前に覆いかぶさろうとしたが、残りの力を振り絞りセドルを突き飛ばす。
それは意志を持つ生き物のように魔法陣を食い破り、私の胸元を直撃した。
けれど、不思議と頭だけはやけにさえて冷静だった。思考はめぐる。
闇の底。絶望の泥濘の中で、私はふと思い出す。全身で魔力を感じたあの瞬間。
あの時、私には確かに伝わっていた。
そうだ。この大地は、まだ死んでいない。
泥水の下には、まだ温かな命の火が残っている。
そう確信した。
途切れそうな意識。
必ずもう一度、この場所に。
***
「どうすんだよ!多分残り香は、まだ眠ってねえぞ。このままここにいたら絶対に狙われる。」
「落ち着いて!とにかくマリーを連れて逃げることだけに集中しましょう。」
「そうだね、今はとにかく生きてこの場を離れないと。」
「…悪い。で、どうする。」
皆逃げるべきだということはわかっている。だが手段がない。
深手を負ったマリーを連れながら、残り香に悟られないように逃げ延びるにはどうしたらいいのか。
ほんの数分しかたっていないのに、とても長い静寂が流れ、誰もが口を閉じてしまった。
「黙るな!逃げるんだよ。誰かマリーを背負え。私が治療しながら移動する。といっても、正直この状態を止めてるだけで回復させてるわけじゃないけど。」
己の無力に苦しむトーカの表情と声は、何でもいいから動けと皆に活を入れるものだった。
『そうよ、ここで止まることは許さない。マリーを死なせたら許さないから。』
涙を浮かべながら話すシェシェに皆の視線がくぎ付けになる
『私も、もてる力のすべてであなた達を守るから、必ず全員で生きてここを抜け出すの。いいこと。』
空気が張り詰め、みんなの覚悟がお互いに伝わる。
「よし、ルル大丈夫そうか?」
「大丈夫、トーカこそいけそう?」
「任せろ。」
少し落ち着きを取り戻し、移動を始めようと様子をうかがっている。
残り香の出す音は、どんどん大きくなりもう何が起こってもおかしくない雰囲気を出している。
今にも押しつぶされそうなほどの威圧感を感じながら、少しづつ移動し始める。そして予想通り、私たちが動いたことをあちらも感じたのか黒い触手のようなものがこちらに伸びてくる。
セドルが撃ち落とし、ゼスが切る。一瞬ひるむがそのまま何事もないかのようにこちらに触手は伸び続けてくる。
「埒が明かねえな。」
そういってゼスが思い切って、触手をたたき切るように勢いよく剣をふり、あたりに飛び散る。残り香は瘴気を出してをの場の草をか枯らして消えた。
「これは、まずいな。」
セドルがつぶやく。全員がその光景を目にして感じたことは同じだった。
【絶対に、触れるわけにはいかない。】
「急ぐよ!」
ルルがそう宣言して、移動速度を速める。
触手も手を休めることなくこちらを追い続けてくるかと思ったが、静かになった。
嵐の前の静けさとはまさにこのことだ。
マリーの時と同じように、勢いよく黒い何かが私たちに迫る。
『走りなさい!そのまま!』
そういって、シェシェが一人振り向き風の刃で切り裂くが、同じものがもう一つこちらに向かってくる。
絶体絶命。
『あきらめるのはまだですわよ!シェシェ様!』
刹那、視界に広がったのは鮮やかな蒼だった。水でできた大きな壁が皆の安全を約束した。
迫る触手を一瞬で蹴散らし、魔の手から一瞬で逃がした。
「一気に片を付けるよ!ミリ!」
懐かしい声と名前が耳に飛び込み、これが現実なのかどうかわからなくなりながら、どうにか今起こっていることを頭が整理しようと、呼吸を無理やり整える。
「だれ??!」
ルルの疑問に答えるものはなく、話は進んでいく。
「押し込むよミリ!ちょっと強引だけど頑張って!」
『任せなさいな!』
湖の水が……魔獣の残り香を包み込み、水底へ押し戻される。
「今ですよ!ウンディーネ様。」
『少し無理をさせるわね……。眠れるわが同胞よ、穢れを払う汝らの涙を我がもとへ。』
あの時見た穏やかな表情はどこにもなく、鋭い眼光は敵をただ見つめている。
『ミリちゃん。』
『はい!』
ミリが手を挙げると、残り香が暴れて波打っていた水面はぴたりと静まった。
『今です!』
『眠りなさい。』
ウンディーネ様の人払いで水面には魔法陣が浮かび、湖が、魔法陣が、輝きを放った。
「どう、なったの……?」
まぶしさが収まり目を開くと、湖は来た時と同じように静寂に包まれていた。
『ウンディーネ様、封印、出来たのですか。』
『はい。もう大丈夫ですよ。まあ、根本的な解決にはなっていませんが。』
封印。その言葉を聞いた瞬間全員、全身から力が抜けて座り込んでしまった。
『このようなところで止まっている場合ではないはずですよ。マリーの治療を。』
「そうだよ、正直…私ももう持たない。」
トーカの顔色がものすごく悪い。ほとんど魔力を使い果たし、すでに限界を超えていたのだ。
「おろして。クレア!そこにシート引いて、水とタオル!」
「はい!マリ姉大丈夫。先生が絶対助けるから。」
「その信頼には絶対に答えないとねぇ。」
シンシアに促されマリーは地面に寝かされる。
胸元から、肩、首を通って、顔にまで呪いが広がり、左目までもが覆われている。
『急ぎましょう。左目はまだ助かるかもしれません。』
その言葉に、セドルとトーカ、ラキアが息をのんだ。
「左目しか助からないのですか。」
『この状態だと、左目は助かるかどうか。』
「私の、治癒力がもっと高ければ!」
『いいえ、あなたの行いは十分でした。そもそも治癒魔法でどうにかなるものではありません。むしろ聖魔法に似た魔力というだけでここまで抑えられたことが、あなたの実力に疑いを持つ必要がないことを証明しています。』
「ね、ねえ。左目だけってどういうこと?ほかは治らないの?」
ルルの問いかけに、しばらく誰もが答えられなかった。
「そうだね、この胸元から広がったあざはもう消えない。今は左目まで伸びているから、命を助けるついでに、この左目も助かったらラッキーってこと。」
「そ、んな。」
シンシアの答えはあまりにも残酷だった。
「ミリ、浄化するよ。」
『はい。』
「こんなことなら、母さんからもっとちゃんと浄化のこと習っておくんだったなぁ。」
半笑いで愚痴をこぼしながら、シンシアは真剣に治療を進め始めた。
クレアもシンシアの汗を拭き、マリーの汗を拭き、懸命に助手の仕事に専念した。
固唾をのみ。こぶしを握りしめ、皆額に流れる汗も忘れマリーの治療を見守り続けた。
【第六章 完】
【第一部 完】
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